春夏秋冬・百式

おじいさん、ご飯はさっき食べたでしょ

18歳3か月の晩酌

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昔私がリアル17歳11ヵ月に近かったころ、
今でいうコミュ障をこじらせていたわたくしは、
あらゆることでうまくいっていなくて、
尾崎豊的に世の中のすべてが敵に見えて
学校サボって街をふらふら歩きまわっていたとき、
茶のんでけって誘ってくれる見知らぬおばさんがいたのです。
おばさんは
「学校はどうしたのだ」とか
「こんなとこでなにしてるのだ」とか
全く問いただすこともなく、ただ暑いだろうといって
麦茶とお菓子をごちそうしてくれました。
そこは店の裏の一室みたいなところで、
お店が忙しくなってきたみたいなのでおいとまを申し出ると、
おばさんはただ一言
「この辺を通ったらまたお茶飲みにおいで」とだけ
見送りの言葉をくれました。
後で冷静に推測してみると、かわっぺりをふらふらしてたので
飛び込み場所でも探してるように見えたのかもしれません。
それにしても余計な言葉は一つも言わず、
けれども見知らぬどこかの馬の骨のがきんちょである
私に対して向けてくれた気配りは、
すばらしく洗練されているように思えて
「こういう人が大人っていうんだろう」とつくづく思ったものです。

残念ながらそのおばさんには再会できずにいますが、
おばさんのようなすげえ、
とおもえるような人にもなかなか出会えません。

つまり大人っていうのはそう呼ばれる世代にもめったには居なくて、
そのほとんどが大人のなりそこないみたいなもんなんじゃないのかな。
勿論私も含めて。
あるいは「大人」そのものが常態的な概念ではなく、
大人のなりそこないが一面としてみせる片鱗のようなものなのかもしれません。

大人ドロップ。つくづく面白いタイトルだと思います。