春夏秋冬・百式

おじいさん、ご飯はさっき食べたでしょ

Anger

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追々話しようと思ってた事を思い出したので

ここで吐き出してみる。

武田鉄矢の今朝の三枚おろしってラジオ番組がございまして、

podcastでも配信されてるんだけど、それを動画で聴いたときの話。

テーマは「嫌な気分を消す技術」だったかな。

この番組、毎週大体は面白い本を話題に三枚に下ろすっていう

趣向なんだけれども、

内容的には脳の働きについて理解すれば嫌な気分を消すことが

できる、っていうような話であったと思う。

 

で、その中で「人は自分の記憶を悲観的にゆがめてしまいがち」って

説明がございましてですね。

その例えに米良さんの話が出てきた。

米良さんは武田さんの番組企画で故郷をたずねるのだけれども、

立身する前に故郷では散々いじめられたという話をして、

そういう話をしたにもかかわらず番組は件のいじめをした

クラスメートを呼び出してしまうのです。ありえない。

それを見て怯えと不快の表情を浮かべる米良さん。当然である。

なんでもそのいじめの内容というのが

横たわったところに葉っぱを被せられる死体ごっこという

なかなか凄惨なもの…。

にもかかわらず平然と現れたクラスメートは

「死体ごっこは米良さんがいいだしたのだ。

自分たちもそのあと米良さんに葉っぱで埋められたのだから」

と言って笑い出したという。

そうした例を挙げて武田さんは

「いじめられていたという記憶だけが悲観的にクローズアップされて

自分も酷いことをしていた記憶を上書きしてしまっているのではないか」

と主張していた。

 

いや、どう聞いてもダウトだろそれwww

いじめっ子は注意されたらまず「遊んでいただけだ」って言い訳するけど

完全にそれに当てはまるじゃないか……。

実際自分も友達にもそういう事されたときに

いじめたほうがそういい逃れる現場を目撃してるしな。

むしろいじめる方が記憶を上書きあるいは忘れてるんじゃないですかね。

 

もちろんこれは聴いただけの推測にすぎないので

武田さんの言う通り米良さん自身が思っていた以上に

いじめられていたわけではないのかも知れない。

その方が救いがあるし

そう思いたくなる気持ちもわからんでもないです。

 

ただ番組であることを忘れて話し出してしまうほど

不快で悲しい記憶を他人が「誇張である」と断じてしまうのには

猛烈な違和感を感じるのです。ちげーんじゃねーの。

いじめた方は平気な顔して出てくるぐらいだから全く

罪悪感はなくいじめたつもりはなかったのかもしれません。

それを安易に肯定してしまうような推論はいかがなものかと。

 

その後米良さんはたくさんの人に声をかけられていて

友達もたくさんいるじゃないかとか言われてて、

最後の最後には「帰ってきて良かった」と叫んでいたようですが

学生時代ははぶられてても出世したとたん寄ってくるのは

耳タコレベルでよく聞く話です。

 

http://youtu.be/YcxkSHsC_cs (問題のくだりは20分ぐらいから)

 

 

嫌な思い出をこれは誇張なのだ。と自分を偽ってまで

消すことに意味はあるのかな?

その時に受けたであろう心の痛みはそんなんじゃ多分消えないのに。

 

以上もやもやする話でした。がっぺむかつく。